円 山 応 挙


 江戸時代中期の絵師。1733年6月12日(享保18年5月1日)、現在の京都府亀岡市に農家の二男として生まれ、京に出て狩野派の流れを汲む石田幽汀に画を師事し眼鏡絵を描いて西洋画の透視図法を習得。
1766年(明和3年)から「応挙」を名乗り始めます。「応挙」の意は「銭舜拳(中国宋末〜元初の画家)に応ずる」ということであり、中国の大家に劣らぬ水準の絵を描こうとする意が込められていると思われます。またこの頃、応挙に深い影響を与えた僧侶がいました。三井寺圓満院の祐常門主です。祐常門主は公家の二条家から門跡寺院に入って僧となった人物です。祐常門主や豪三井家が応挙の主要なパトロンでした。博学だった祐常門主との出会いは、応挙に新しい絵画の様式をもたらす事になります。それが写生。即ちスケッチでした。写生を極めた応挙の代表作『藤花図屏風』は細密に、慈しむように藤の花を描きそれに反して幹は、一筆書きのように大胆に描かれています。これが応挙の生み出した「付立描法」です。「付立描法」とは一本の筆に濃淡の違う三種の墨を含ませて一筆で濃淡を表わす技法です。陰影や立体感が、一筆で生まれていきます。



藤花図屏風

代表作の『七難七福図』『牡丹孔雀図』などは第二次大戦後まで三井寺圓満院に伝来したものであり、『雪松図』は三井家に伝来したものであります。



 七難七福図

 牡丹孔雀図


 大瀑布図

 時には、「あっ」と人を驚かせることもありました。応挙のパトロン祐常門主は、常々、庭に滝の無いことを残念に思っていました。そこで、滝の絵を依頼したのです。応挙はその願いに応えようと途方もない絵を描きました。
それが『大瀑布図』です。美術館に収蔵されているその絵は、門外不出。その大きさは幅1メートル44センチ、長さ3メートル62センチの巨大な絵です。この『大瀑布図』を一風変わった方法で観賞して貰ったのです。応挙は、実物大の滝を庭に出現させたのです。まっすぐに流れ込む滝が池へとそそがれていきます。応挙という絵師が仕掛けた一大スペクタクルです。 古い伝統に縛られない自由奔放で親しみやすい画風が、三井家をはじめとする富裕な町人層に好まれました。多くの門下生を育てた応挙を祖とするこの一派は「円山四条派」と称され、現代にまでその系譜を引く京都画壇の源流となっています。

【代表作】
◆雪松図屏風(年紀を欠く)三井文庫蔵(国宝)
◆七難七福図  1768年(明和5年)萬野美術館(2004年開館)
        旧蔵(重文)
◆牡丹孔雀図  1771年(明和8年)萬野美術館旧蔵(重文)
◆雲龍図屏風  1773年(安永2年)岐阜・法人蔵(重文)
        東寺観智院伝来
◆藤花図屏風  1776年(安永5年)根津美術館蔵(重文)
◆竹風竹図屏風 1776年(安永5年)京都・圓満院蔵(重文)
◆金刀比羅宮障壁画 1787年(天明7年)および1794年(寛政6
        年)金刀比羅宮蔵(重文)三井家の注文で描いたもの。
        床貼付絵の『大瀑布図』が有名。
◆大乗寺障壁画 1787年(天明7年)および1795年(寛政7
        年)兵庫・大乗院蔵(重文)
◆金剛寺障壁画 1788年(天明8年)京都・金剛寺蔵(重文)
        東京国立博物館に寄託中
◆保津川図屏風 1795年(寛政7年)個人蔵(重文)
◆松に孔雀図襖絵 1795年(寛政7年)(重文)

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